高山文彦

「なかなか書けないな」  と、思案に暮れた石牟礼さんが言ったのは、 「句を送ります」  そうして紙に毛筆でしるしたのが、水俣病闘争のさなかにつくった一句であった。  祈るべき天とおもえど天の病む  これに皇后が皇太子を出産したときのようすをイメージして、女人が可愛らしい赤ん坊を抱いている絵を添えた。 **  本来なら、天皇皇后よりも先に皇太子夫妻が水俣を訪れるべきなのだ。雅子妃がそのようにできるかどうかは別として、水俣病患者とその家族をまえにして、「私は江頭豊の孫娘として、皆様に多大な苦痛とご心労をおかけし、尊いご家族の生命を失わせたことを心からお詫びします」と言ってもらいたい。一途な恋を成就させ、いびつな見解を宮内庁に発表させた皇太子こそ、妃の背中を優しく押して水俣に導くべきだった。天皇皇后の訪問によって、二人はその機会を逸したのではなかろうか。